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高畑勲監督の「かぐや姫の物語」
単純にすごいと思ったのですが、世間の評判はどうもよろしくないようです。
■スタジオジブリの2人の監督
50億円の製作費に対して興行収入はその半分程度、製作側に入るのは10億程度になるでしょう。
ジブリでなければ潰れるぐらいの大赤字です。
そういう興行的なことはさておいて「かぐや姫の物語」はアニメーションのひとつの到達点だったといえるほど優れた作品だったと思います。
「風立ちぬ」で空前のヒットを記録した宮崎駿監督には、こういうタイプの作品は作れないと思います。
それは宮崎監督が元来アニメーターであり、高畑監督が演出家という資質の違いから言えることなのです。
■高畑監督と宮崎監督はなにが違うのか
アニメーターとして世界屈指の技量を持つ宮崎監督は、自分の思うイメージを自分で描けます。
ですから、物語も主観でぐいぐい押しまくります。
後から思い返すと破綻しているように思える「崖の上のポニョ」が見ている間はどんどん引き込まれていくのは、主人公の主観が観客のものになってあれこれ考える必要がないせいです。
一方、自分では絵を描かない高畑監督は思ったイメージを他人に描かせる客観の人です。
自分が物語の主人公に同化するのではなく、高い視点から客観的に物語を見て登場人物を動かします。
そのため物語に破綻があることはまずありません。
■高畑監督の客観性
「かぐや姫の物語」の西村義明プロデューサーがトークイベントで語ったところによれば、映画の製作が開始してから高畑監督が「なぜ、竹が光るのだろう」という疑問を提示して、それが解決されるまで数週間作業が停まったそうです。
それが竹の内側から発光するのではなく、外部から光が照らすという映像になった訳ですが、
おとぎ話にも科学性、客観性を求めるのが高畑監督の資質なのです。
主観の人である宮崎監督にはそういう迷いはありません。
「天空の城ラピュタ」のパズーがロボット兵を発進させるつるつるしたパイプの中を、
靴を脱いで裸足になることで駆け上ったように、
科学的考証抜きで光るものは光るというのを映像の力で見せるでしょう。
それは「白雪姫」がなぜあっさりと毒リンゴを食べてしまうのかというスタッフの疑問に、
「魔法がかかったリンゴだからだよ」と言ったウォルト・ディズニーに通ずるものがあります。
もちろんディズニーは高畑監督と同じく自分では絵を描かない客観の人なのですが、
もし竹が光る理由を聞かれたら「月世界のものだからだよ」と答えていたでしょう。
高畑監督の理詰めの演出というのは、極めて異例なのです。
「かぐや姫の物語」のすごさ
その結果、「かぐや姫の物語」にはどんな映画にもあるはずのNGカットというものがほとんど見当たりませんでした。
個人作家が短編アニメでやるならばともかく、長編の商業アニメでNGカットがないというのは奇跡的なことでしょう。
「かぐや姫の物語」がすごいと思ったのは、そこなのです。
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